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口外禁止の仕事
ドリーム小説 紅秀麗は楽しんでいるようだった。
ちょうどその前後は席を外していたが、黄尚書は思わず居眠りをした日以来、時々彼女の意見を聞くようになり、一日一回お茶をするようになっていたし、景侍郎も気に入ったようで、事あるごとにずっといてほしいと言っている。
多少意外だったのは浪燕青だった。
補佐にまかせっきりではなかったと聞いていたが、ここまで使えるとは正直予想していなかった。あの事があったため、ある程度の殺気や警戒、詰問は予想していたのだが、彼の中で決着が着いたのだろう、仕事に私情を挟まないでくれるのはありがたかった。静蘭だったらどうかは分からないが。
つらつらとそんな事考えていたは、はっとして気を引き締め、眠気覚ましに使った茶器を片付けて資料や書翰を引き寄せた。
印を押されたものが並ぶ。
官吏を監察する御史台とて、基本は他部署と同じく見積もりを出さなければならない。ただし、性質上たとえ見積もりであっても口外禁止であり、当然それに選ばれる戸部官吏は御史台長官に認められ、かつ傀儡にはならない官吏になる。
の仕事の数割はこれだった。もちろんが紅家側、しかも当主の養い子である事は向こうも知っているはずだ。吏部の仇敵は御史台であり、を選んでも御史台にとっては全く得がなく、下手をすれば情報がもれるだけなのだ。
唯一、女とばれればそれで脅す事が出来るが、はそれには屈しないと決めていた。
「…………どうして私なんだろうね」
呟いた所で、待ち人が速足で書棚を通って入ってきた。ここ最近、会う事が多くなった顔がのぞいた。
「遅くなってすみません」
相手は息が少し乱れていたが、汗は余り出ていない様だった。
「いえいえ。この猛暑でそちらも人手不足でしょうから、気にしないで下さい」
「じゃあ。そう言う事にしておきます」
「ところで陸御史」
は新たに渡された書翰と手持ちを見ながら言った。
「なんですか?」
「その作った顔やめてくれませんか」
彼の顔から微笑が消える。はちらと彼を見て、再び書翰に目を戻した。
陸清雅。手段を選ばない御史台長官の隠し子にして『官吏殺し』。性格は俺様、腹黒、人でなし。そう、吏部の覆面からは聞いている。
「……いつ、気付きました?」
ゾクっと何かが走った。
「貴方を認識した所からです。そちらで調べていると思いますが、幼児体験のせいで少々敏感なんですよ」
書翰を見たまま答えるに、清雅は内心チッと舌打ちをした。
「紅尚書から聞きましたか?」
口にした途端、失敗を悟った。彼に聞いても正直に答えるはずがないのだ。
チッと再び心の中で舌打ちをする。
及第以降全く目立つ事がなかった男。実際に接触しても印象に残る事はなく、そこそこ有能なだけと見ていた。
しかし、簡単に自分の演技を見抜かれた。これでまた、長官の勘が当たったことになる。
「……そう、警戒しないでください。あの人からは何も言われていませんし、そもそもこれに関しては口外出来ませんから」
ところで、とは書翰のある項目を指して尋ねはじめた。



清雅と入れ替わりで府庫に入ってきた人物に、は片付ける手を止めた。
「やあ、どうしたんだい?そんな顔をして」
「何か御用ですか晏樹様」
晏樹は相変わらずの着崩した官服でにっこり微笑みながら入ってきた。
「おや、つれないね。桃あげるから機嫌直してよ。ついでに剥いてくれるとうれしいな」
普段なら受け取るのだが、なんとなく楸瑛を思い出したはそっけなく返した。
「私は桃よりも李が好きです」
「……………」
じーっと晏樹がを見る。結局、は折れた。貰わない代りにと桃を剥く。しばらくして晏樹が口を開いた。
「いつも思うんだけど、君上手いよね。なかなか君の年齢でいないよ。もしかして、料理も上手だったりするのかな?」
「そうですか?ああ、でも料理はそれなりに上手くなりましたね」
「それは誰のため?」
にっこりとは晏樹に負けないぐらい微笑んだ。
「そんな事をお聞きになるためにいらっしゃったわけでは無いでしょう?それに、そんな事をおしゃると、そっちの趣味だと誤解されますよ?」
そんな話のために、は時間を潰しているわけではない。晏樹もそうだ。
「清雅を見破ったみたいだね」
「ご覧になっていたのでは?」
「ううん。私が見たのは府庫から出てきた彼だけだよ?」
嘘か本当か、どちらにしろほとんど変わりはない。
余り紙を引きその上に皮、実と載せて、は小刀を置いた。ぱくぱくと晏樹が切り分けられた桃を摘んでは食べていくのを眺める。
「あれ、君は食べないのかい?」
「帰ったらお茶菓子が待ってるんで」
お茶に参加できない時でも、お茶菓子はちゃんと用意されるので、後で食べるのが習慣になっていた。
「えーいいな。僕も食べたいよ。」
「晏樹様はいつでも桃食べ放題でしょう」
いつでも懐から出てくるのを思い出して言ったのだが、晏樹は別の意味に取った。
「あれ。もしかしてわかったの?良くわかったね。それとも調べた?そしたら残念」
「街で会ったら官吏より放蕩貴族に見えるのは確かですけれど、特に調べてませんよ」
黎深や黄尚書に聞けば一発でわかる事であるし。今、何かすると藪蛇になりかねない。とりあえず今日は、晏樹が桃を食べるほどには余裕のある仕事と付け加えておこう。
「それはよかったけど、酷いよ。君はそんなふうに僕を見てたんだね」
すねながらも晏樹が桃を食べ終わったのを見て、は戸部行きの書翰を抱えた。
「ご不満ならご友人に聞いてみてください。……桃を剥いたかわりと言ってはなんですが、お願いをしても宜しいでしょうか?」
「何だい。桃をおいしく食べられたし。言ってみるといいよ」
「御史台の葵長官に、『どうして私なのでしょうか?』と尋ねてくださいませんか」
「訪ねるだけ?返事はいらないの?」
「はい」
「ふふ、君は不思議な事を頼むね。また雰囲気が少し変わったみたいだし」
「?」
「気にしないで」
髪をふわふわと靡かせながら、府庫を出て行く晏樹に、よろしくお願いいますと軽く頭を下げた。
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