← back to index
四日に一度の食事
ドリーム小説 その日、鴻臚寺からの帰りで見つけた工部官を工部に届けた は、軽く足を速めていた。の体が動くたびしゃらしゃらと音がする。
怖いかと楸瑛は言った。静蘭に会うのが怖いかと。恐怖、恐れ。それを耳にして思いだすのは六年前、邵可邸でのことだ。さらに軽く今までの記憶からも探してみるが、そもそも恐怖を感じた事が余りないので役に立たなかった。
戸部に帰ると楸瑛達がもう来ていたが、は机に布を広げて決済の書翰を包む事にした。人手不足なのでやってしまいたいものをつめると自然と量が多くなる。それでもが自負する量は超えないように、仕事を選び取る。
不意に後ろから肩を軽く叩かれ、振り返ると景侍郎だった。
「私達がやっておきますから。今日はもうお土産はなしですよ」
の机の上にあった書翰と包んでいた書翰を自分の机に運びながら、景侍郎は相変わらず穏やかに微笑んだ。景侍郎の微笑みは嫌いではないと思う。黄尚書の顔は絶世だが、普段は見えない。つまり戸部においての見る上司の顔と言えば景侍郎になる。そのためだろうか。
「今日は何時もより頑張ったのでしょう?それに李官吏は特に夏に弱いのですから無理は禁物ですよ」
「……すみません」
「何、大丈夫です。もうしばらくすれば官吏達も帰ってきますし、それまで持ちこたえて下さいね」
「はい。もちろんそのつもりです」
そう答えると景侍郎はとても嬉しそうに微笑み達を見送ってくれた。
絳攸の軒で向かうと言われ、一行は軒宿りに向かう。
「待たせてしまいしたか?」
「いや、聞いてはいたけれど戸部は本当に人不足なんだねえ。殿にも無理をさせてしまったかい?」
「いえ、あれからまた何人か倒れたので殊の外長引いてしまいました。人不足と言えば、工部はこき使わないかわりに酒の匂いが酷いそうで、戸部の次ぐらいに悲惨な状況のようです」
「兄上。夏には弱いのに大丈夫ですか?」
「私はまだ二日目だから大丈夫だけど、大半はもう駄目だろうね。気力だけで動いているみたいだから。情けないけれど後は各省庁からの人材に頼るしかない状況だよ」
「絳攸、吏部の方はどうだい?」
「人不足はまあそうなのだが、あまり危機感はないみたいだ。仕事が終わらないのはいつもの事だし、黎深様が仕事をしないのもいつもの事だからな」
朝廷としては大変困るのだが。変に焦られるよりは良いだろう。
「静蘭」
ふりむいた静蘭の視線は楸瑛、絳攸、そしての所へと向けられる。
「これは、藍将軍に絳攸殿に
軽く礼をして出た声は、何時も通りだった。
「これから帰りなら、一緒しないかい?」
二人が掲げた包みから、今日が四日に一度の日である事を察したのだろう、静蘭はすぐに頷く。
彼を加えて再び軒へ向かった一行は、帰る人の多さのせいか自然と二つに別れた。
目的地は分かっているのだからと、そのまま静蘭と話していた楸瑛は話の終わりを狙い、独り言のように切り出した。
「意外だったねえ」
「何がですか?」
尋ねた静蘭に楸瑛は内心引っかかったと思った。
「いやあ、君が来ていないと言うから、もっと渋るかと思っていたのだけれどね」
「それだけで呼んだのですか。どうするかは彼の自由でしょう」
静蘭の声に非難が加わる。
「まあ、そうなんだけれど。実は前に秀麗殿にきかれてね」
「お嬢様に?」
様は今どうなさっていますか?って。文を出してみたけど返事はないし、静蘭も姿を見ていないようだと。せっかく出来た静蘭の友達なのにって……絳攸には殿の兄弟だから何となく聞けなかったらしくてね」



葱を持って、皆より後から邵可邸に入ったは、その棍を見た瞬間、彼と彼が来た理由を察した。腕の立つ誰かが来る事は、紅家の情報網を使わずとも、少し考えれば想定出来る事だった。それが強いとは言え、まさか州牧自身だとは思っていなかったが。
相変わらずの棍さばきに本気でも勝てないだろうと目算する。
「お前もしかして『小旋風』………?」
その名に反応した静蘭は、鶏を楸瑛に投げ男を室の外に放り出し自分も出て行った。
それを見届けて、は秀麗に声をかける。
「秀麗殿」
「あ、お、おひさしぶりです様」
秀麗は妙につまった答えを返す。
「突然お邪魔してすみません。材料はどちらに運べば良いですか」
「そ、そうですね。じゃあ、厨房の机の上にお願いします」
達が持ってきた材料を置いて再び戻ってくると、この邸の主、紅邵可が帰って来ていた。静蘭達も室の外から戻っている。
しばらくして出来上がった料理に数年間の成長を感じながら、にぎやかな会話に耳を傾けて食事が終わると、お茶を飲みながら話は外朝での具体的な仕事内容へと変わっていった。
話が始まる前から、には内容の見当がついていた。それは昨日、紅家に来た兼丁が言っていた話だろうと。つまり主上から戸部への人材提供に秀麗を使おうと言う訳である。
思ったとおり話はそれで、秀麗は戸部と聞いて驚いたが、本当にただの雑用である事を確認して頷く。
そして装いの話になり、絳攸の「心配するな。女とは絶対気付かれない」発言がされたのだった。
「あ、はい、そうですね」
秀麗が困ったように同意し、と楸瑛が同時に大きくため息をつく。静蘭から少し殺気を感じる。
両脇から同時にため息を吐かれ、絳攸が二人を交互に見た。
「絳攸」
「?何だ」
「女性にその言い方は無いと思うよ?」
「秀麗殿でも怒るよ」
まあ尊敬している絳攸に、秀麗が怒る事はないだろうが。失礼には変わりないのだ。
「そうですか?」
絳攸は首を傾げる。
「そう。後で説明はするから、わからなくても謝っておきなさい」
絳攸は納得していない顔ながらもに頷き、秀麗に向き直った。
「……その、すまなかった秀麗」
「い、いえ。……事実でしょうから」
絳攸が謝ると秀麗はすぐ了承したが、後に呟いた言葉はやはり気にしている事がわかる。
「すみません。弟が失礼な事を言って」
「い、いえ。そんな事ないです。謝らないでください!」
ぶるんぶるんと秀麗が首を振った横から、浪燕青が小声で尋ねるのが聞こえた。
「なあ静蘭。なんでその文官さんは普通なのに、そのお兄さんはいやに丁寧なんだ?」
「それもそうだよね」
楸瑛が同意する。しかしは集まった視線を全く感じていない様にお茶を飲んでいた。
暫くして、また別の話が始まる。聞き手にまわりながら絳攸は隣を見た。
ここ最近、この姉はよく人の視線を集めるようになった。しかし姉は大抵その視線を今のように流してしまうのだ。これがわざとという事はわかっている。普段は絳攸一人の視線でも気付く姉だ。
お茶が終わって、絳攸は秀麗の勉強を教えに奥の部屋に向かう。先に帰るとばかり思っていた姉が残った。何やら話があるそうだ。ふと、ここに姉を誘った楸瑛が、微笑みながら帰ったのが少し気になった。
← back to index