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仕込み
ドリーム小説 いくら春とは言え、風邪を引きそうだとは思った。
しかしそう思っただけで、川に落ちた子供を助けようとは全く思わなかった。
それは凡人なら間違いなく溺れるほど川が深いからではない。その、知人でもない子供が、どうなろうとには全く興味が無いからだ。
けれど、世界にはのような者だけでは無かったらしい。
ばしゃ、ばしゃ
水面を波立たせながら川に入る男を見て、すぐさま上着を脱ぎ彼の元――すなわち彼の目指す子供へ向かった。



邸に向かう軒の中でが彼を見ると、彼――龍連は目を逸らした。
「どうしたんだい龍連。浮かない顔をして」
「我が心の兄の服が濡れた」
は思わぬ言葉に目を見開き、そして微笑した。
「………いいよ。邸に戻る所だったから」
「私が川に入ったから、も濡れたのだ。心の弟失格だ」
「たしかに一人で入る事は無いけど、君を心配して私が自分の意思で入ったんだよ?私は気にしていないから。ああ、………今は、君が風邪をひかないかと心配だよ」
方がひきそうだ」
「自分の事はわかりにくいものだからね。ほらまだこんなに濡れている」
は持っていた布で、龍連の頭を丁寧に拭いていく。
「次の国試を受けるんだってね」
「うむ。三兄との約束だ」
「龍……」
「十七年だ」
一瞬だけ、力を緩め、または髪を拭きはじめた。
「そうだね」
「まだ、見つからない」
「うん」
は………」
「わかってるから」
「一人だけだ」
「今はね」
即答
「………っ。変わらぬ。今もこれからも我が心の兄は一人だ」
そう言い残して、龍連はふわりと走っている軒から出て行った。
龍連には見つけて欲しいと思う。好いてくれる事は嬉しいけれど、自分では役不足だから。
きっと永遠に、がそうなる事はないから。
「願っているよ、龍連。心から君の幸せを」



『――――よかろう。ただし……』
そう、あいつは言った。そして契約は結ばれた。
明らかに向こうが得する賭けだった。初めてした、自分以外のための賭けだった。
約束は果たされ、自分が守ろうとした人は、今も生きている。
「――主上に、承りました、と伝えてくれ」
すぐ横の廊下からその声をは確認した。
(絳攸、藍将軍は『花』を受け取った、と)
を経由し、茶太保の焦りを知った香鈴は毒を盛りはじめた。そして黎深から純銀器が送られて来る。警告を受けた劉輝は、包囲網を敷く。香鈴は調べられ、劉輝達は茶太保にたどりつくだろう。どこまでも霄太師の思惑通りだ。
「……私は…何とか今だけでも、逃げておかないとなあ」
決して、断りたいわけじゃない。けれど、今は……賜る訳には行かなかった。
は一度苦笑して、女官室の一つに忍び込んだ。音をたてずにあちこちを見てまわる。
暫くしたて、袋は見つかった。少し空け匂いを嗅ぐ。数秒考え、手持ちの毒から香りの強いものを少量取り出し、それを袋に入れた。元の位置に戻し、自分がいた痕跡を慎重に消していく。少ししゃがみ、髪の毛を一つ拾い上げ部屋を出た。今頃あの部屋には、一晩過ごした珠翠の香がついている事だろう。霄太師の思惑通りに。



「でね、そんなふうに新品になって返ってくるの。絳攸様や藍将軍が古いのを取る事はありえないけれど」
秀麗は首をかしげながら奇妙な紛失物の事を静蘭に語った。それは、困りましたねと、いつもの笑顔で言った静蘭に、ついでに小耳にはさんだ事も聞いてみた。
「絳攸様から聞いたんだけど、静蘭って様と知り合いだったの?」
「ええ。そうですけれど………もしかしてお嬢様、覚えてないのですか?」
「へ、何のこと?」
は一年ほど、私達と暮らしていたんですよ?」
秀麗は急いで記憶を探った。程なくしてそれらしき少女が一人、浮かび上がる。そう言えば彼女はいつも、男装をしていた気がする。
「……うそでしょ」

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