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時間がたてば
ドリーム小説 講義の数刻前、府庫に入ってきたは劉輝に声をかけた。
「何をお読みになっているのですか?」
の気配など府庫に入ってすぐに気がついていた劉輝だったが、それでも今気付いたように顔を上げた。
「今日の講義で使う本だ」
「そうですか」
それだけ言って今日もは上司からのお土産を開き、仕事を始めた。しばらく沈黙が辺りに漂う。
「――そなたは相変わらず言わないのだな」
「何の事ですか」
書類から顔を上げずは答えた。
「馬鹿のふりをするなとか、政事をしろとか」
「絳攸なら存分に言ってくれますよ?」
「………言って欲しいわけではない。余は、どうしてそなたが言わないかを知りたいのだ」
「以前お答えしました。それより馬鹿のふり、ばれてますけれど」
「…………誰にだ」
「私は元より、藍将軍は気付いているしょうね。絳攸は時間の問題。どのみち最後に紅貴妃にばれますよ。そしたら烈火のごとく怒るでしょうねー」
「う……」
「ま、せいぜいいまのうちに甘える事ですよ。ついでに一人でも暗闇で眠れるようになって下さると有難いのですが」
そう言いながら終わった資料をは包みはじめた。
「なぜか、の話を聞いてると、時間が迫ってきている気がする」
「あながち間違いじゃないかもしれませんよ?」
ま、がんばってくださいと言って、は府庫を出て行った。



後宮に急速に一つの噂が広まった日、は後宮の一室で目を覚ました。
座ったまま寝たせいで痺れた手を伸ばし、上半身を起すと、肩から何かが床に落ちた。
それは上掛けだった。自分が羽織った記憶はないので、彼女がかけてくれたのだろう。つくづく優しい人だと思いながら、置いてあった冷めた茶を飲でいると彼女が帰って来た。
「これありがとうございます。珠翠殿。何かあったんですか?」
礼を言い微笑んだに珠翠はしばし間を取って口を開いた。
「あなたは主上付きでしたね」
「ええ、そうですよ」
「実は今日、主上が紅貴妃と床を共にされて……」
「そうですか」
「何も思われないのですか?」
「主上にかぎって、無理矢理どうこうは無いと思いますよ?一応邵可様には伝えておこうとは思っていますが」



庭で格闘していた楸瑛と静蘭は、甲高い金属音に動きを止めた。
「………この音」
「訓練かな。………だけど、どうしてこんな所で?」
普通、訓練は稽古場で行われるものである。
顔を見合わせた二人は音を辿って、庭の奥深くへと分け入った。
音に近付くごとに会話も聞こえて来た。
「………なん…………が…………るか」
「……が………なら……も………………んですよ!」
先に首を出した楸瑛は意外な人物に驚き、それを眺めた。
「…
後から来た静蘭が小さく名を呼んだ。
「まったく相変わらず力が弱いな」
宋太博の突きをがよけ、突き返す。
「悪かったですね!何度も言わなくたって良いでしょう。それよりも急にやってこないで下さいよ!時間厳守なんですから」
「おぬしが約束通り稽古場に来て、指南役をしないからだろう」
「当たり前です、私は文官なんですよ!それに今は忙しいんですよ。主上付きと戸部、両方やってるんですから!」
「――それは霄にいってくれ」
カンッと弾かれたの剣が地面に刺さる。
「………ほら、宋太博には負けるじゃないですか」
「まだまだ若いのには負けられんからな。───おぬしは」
宋太博は静蘭と楸瑛を見、わずかに目を細めた。一拍後、剣先を静蘭へと向ける。
「ちょうどいい。相手をしろ」
「え――わ、私――ですか!?」
「そうだ」
興味深そうに、無言で一歩下がった楸瑛の隣に、も並んだ。
「―――よくぞ受けた」
「宋将軍……!」
次々と急所を狙ってくる斬撃に楸瑛が舌を巻く。
「どう思います?」
は静蘭を見たまま言った。楸瑛もに向いた視線を戻す。
「どう、とは?」
「気付いていらっしゃるのでしょう?静蘭……ついでに主上の事も」
「そう言う貴方は?」
「両方知ってますけど、何か?」
さっさと言えとばかりに下から睨まれたが、楸瑛は言うつもりなどなかった。問いを口にする。
「それだけの腕を持ってなぜ文官に?」
「―――――私に勝てるようになったら教えて差し上げましょう」
諦めたようにはため息をつき、素早く静蘭を見た。
「おぬし、歳はいくつだ?」
「に二十一になりますが」
「本当か?」
すっと楸瑛の目が細められる。はそのままだ。
「十三年前、邵可に拾われたそうだな。その前は何をしていた?」
「あ、あの………」
静蘭の動きがわずかに鈍った瞬間、剣は叩き落とされていた。
「――――なかなかの腕前だ、一見我流に見える剣だな」
喉元に突きつけていた剣を鞘に戻しながら宋太博は言った。
「だが、幼い頃に習った剣の型というのは、おいそれと消えるものではない。おぬしの根本にある剣は―――もそうだが、私が知っている物とよく似ているな」
宋太博はちらりと楸瑛を見た。
「………そこの藍家の若造も、気付いているだろう。藍家出身で、一応将軍職にある男だからな」
楸瑛はただ肩をすくめた。
「―――――今ではもう、見る事は無いと思っていた。その肩を習った者は、一人をのぞいて皆いなくなったからな。劉輝はわし直々に指南したから、その肩は知らぬし。かの公子も、さっきのおぬしのように、わしのことを宋将軍と呼んだものだ」
なつかしいな。そう呟いて宋太博は去っていった。
「静蘭」
が気遣わしげに名を呼んだが反応はなく、
「……行きましょう。藍将軍」
静蘭に背を向けたに続いて、楸瑛も庭を後にした。
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