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才人の無名の兄
ドリーム小説 『今日の昼すぎ主上が府庫にくるかもしれません』
そう、同じ主上付きの弟から伝えられたは、上司からのお土産(返却本&仕事)を片手に屋根の上を走っていた。
もともとは戸部の人間である。会試を状元で通過し、吏部試を受けたは、結局殿試で望んだ通り戸部に配属された。それから四年以上たった今は、景侍郎に続く戸部主戦力の一人、未来の侍郎候補だ。絳攸並の短期間での出世。だがの存在を知るものは少ない。
そんなも主上付きになったのだから、暇すぎてぐれている弟のように半年、暇な日々を過ごすはずであった。しかしの尊敬する上司は、出来る者程使う方だったのでそんな事は全く関係なく、『やる気がないバカ王のためにお前をさく訳にはいかない』と普段どおり仕事をさせ――否、上司の言葉ではやる気を出したので、その数倍の仕事をしていた。
もともと、李という官吏は存在しないはずだったのだから、主上付きになる必要もこのように走る必要もないと、数年前のなら思っていただろう。実際、国試は受けたくて受けたわけではなかったし、戸部を希望したのだってただの気まぐれだった。けれど今は違う。
部下には決して見せられないなあと思いつつ、少し手前で屋根から降り、府庫の本棚の間に滑り込む。勉強の邪魔にならないよう音はたてない。
弾んだ息を整え、一度深呼吸して彼らのもとへと向かうと………
劉輝が秀麗を抱きしめていた。



頭が真っ白になった秀麗が我に返る前に、落ち着いた声と共に劉輝の腕は外された。
「女性にそんな事を急にしてはいけませんよ、主上。いくらあなたの妃だからといってね」
かわいいと、その人を見た秀麗は素直にそう思った。
……?」
劉輝が意外そうに声をかけが、それには反応せず彼は秀麗を気づかった。
「大丈夫ですか?」
「あ、はい。ありがとうございます。ところで、あなた」
「なんだ」
秀麗は顔が引きつるのを感じながら劉輝に尋ねた。
「その……女の人よりも、お、男の人の方が好きなのよね?」
「………まあ、そうだな」
「そ、そうよね」
あからさまにホッとした秀麗は、口早に話しつつ、立ち上がった。
「じゃ、師を紹介するわね。なんと!朝廷随一の才人と誉れ高い方なんですって」
劉輝はわずかに眉をよせた。
「――ようやくお会いできて光栄です、主上」
綺麗な顔をにっこりとほころばせた絳攸は
「これから遠慮なくしごきますからね。覚悟しておいてください」
宣言して、ドカッと本の山を机に積み上げる。劉輝は題名をみて呟いた。
「………絳攸は、府庫の中だけは迷わないのだな」
後ろに控えていた楸瑛が吹き出し、秀麗は言葉の意味がわからず劉輝の顔を盗み見た。
びしっと絳攸の額に青筋が走る。
が絳攸の口を押さえた。



「ところで主上この方を紹介していただけませんか」
楸瑛の問いに、劉輝は即答した。
だ」
「え……他は?」
「この人は……」
「絳攸。答えなくていいよ。紅貴妃、邵可様は今どちらに?」
劉輝のかわりに答えようとした絳攸を止め、は返却本を持って立ち上がった。
「あ、邪魔になるからと奥に行きました」
「ああ、あそこですね。ありがとうございます」
彼らに背を向けてから思う。さすがにこの姿じゃ気付かないようだ。
は幼さをさらに強調する純粋そうな微笑で礼を言い、四人に背を向けた。さっさと本を返して来ると、興味津々な劉輝、その横に困惑顔の絳攸、値踏みしているような楸瑛に秀麗が待っていた。
全員の視線を受けて戻って来ただが、そんなことは全く気にせず、机にのり出すと劉輝の頭をくしゃくしゃと撫ではじめた。
「な、なにするのだ」
驚いた劉輝が反射的に頭を押さえる。
それを見たはやは可愛いと再認識した。には劉輝はどうも犬に見えるのだ。髪の色素が薄いのも関係しているのだろうかと思う。もちろんに言わせれば楸瑛の弟、藍龍連も可愛いたぐいに入るのだが。二人とも本当に可愛いと思う。
真剣な話、毎年自分の思考が危なくなっているのだが、これはやはり黎深の影響が大きいのだろう。彼の兄家族に対する異常な愛情と行動を考えると、自分もまだましだと思うが、そのうち自分がああなると考えると本気で嫌だった。



鉄壁の理性こと絳攸は、大好きな兄上(女)が時々自分に見せる微笑を、劉輝に向けているのを見て、何故か背中に汗を感じていた。とりあえず何も問題は起こっていないと確認し、と劉輝を眺める。これまで自分に向けられている時は気付かなかったが、黎深が邵可に向ける顔に少し似ている気がした。もちろん不気味な笑い声もないし呟きもないのだが、内から出る零囲気と言うか念と言うかまあそんなものが近い気がする。
否、冷静になれと自分に言い聞かせ周りを見ると、困り顔の秀麗が目に入った。それもそうだろう、知らない官吏がいきなり主上の頭をなでてそのまま微笑み、そして沈黙が続いているのだから。
「あに…様」
「うん?ああ、私の事がまだでしたね。李と申します。戸部の人間で主上付き。絳攸と兄弟です。他に聞きたいことがあれば皆さんどうぞ。出来る限りお答えしますよ」
一度声をかけると、はすぐにいつもの笑顔になった。先ほどの笑顔よりも一般受けする、純粋で活発そうな笑顔。もちろん絳攸には、それを含めた細かい所が演技であるのは分かっているので、微妙に胡散臭く感じるのだが。
「うむ。は絳攸の弟なんだな」
ほとんど確認の問いに絳攸との間に何かが走る。
は年をわざとごまかしているのだが、なぜか微妙に笑顔の爽やかさを上げて答えた。
「……こう見えても兄なんですよ」
「ええっ!そうだったんですか!」
「……………そうだったのか。すまない」
秀麗と劉輝が声を上げ、楸瑛もわずかに目を見開いていた。
「いえ。よくある事ですから」
よくというよりほぼ九割間違われる。
「えっと、戸部ってどんな所ですか」
「戸部の仕事についてはご存知ですか?………そうですね。とてつもなく優秀だけれど自分の体調を気にしない上司が、必死にやって終わる量をそれぞれに命じている所です。手っ取り早く黄尚書に会えば分かり易いのですか……そうも行きませんし。まあ、大変な所ですが、絳攸が侍郎をしている吏部よりかなり見た目が良い所ですよ」
ね?とが絳攸にふり、絳攸が頷く。すると続きを言う前に府庫に入ってくる者がいた。
「李侍郎補佐はいらっしゃいますか!」
「はい。ここです」
入ってきた官吏は絳攸たちの姿を見て、邪魔したと思ったのか一度こちらに謝り、続けた。
「先ほどの中書省の書類に、不備があったのでお持ちしました」
「ごくろうさまです。君はそのまま戸部へ?」
「はい」
「じゃあ、これとこれを黄尚書にこれを景侍郎経由で工部へ。その時に『酒ばっかり飲んでるからぼけたんじゃないですか、この酔いどれが』と管尚書に言って書類を欧陽侍郎に渡してきてください。後、私は侍郎補佐ではないですよ?」
「え、そうだったんですか……はい。わかりました」
の目の前にあった書類を三分の二ほど持ってその官吏は出て行く。ここにきてからが仕事をしたのを見た覚えがないのにもかかわらずだ。
「主上の師は絳攸がするんだろう?」
「はい。そのつもりです」
「じゃあ私は後ろで仕事をしておくよ。何かあったら呼んでくれてかまわないから」
「はい」
「では、主上、紅貴妃。失礼します」
すっと礼をしたは去り際、絳攸にがんばれと言い、空いてる席へと移って行った。

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