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うわさ
ドリーム小説 「そういえば様のことも噂になっていましたよ」
何個目かの噂だろうと思いながら、はゆっくり茶器を置く。
「……私がですか?」
「ええ。藍将軍と張り合うぐらいの方がいらっしゃる。しかも藍将軍より優しいと」
「それは………」
藍楸瑛のように遊び歩いているという意味だろうか。
「その事を珠翠様がお知りになったようで、一体どんな人物なのかとお聞きになっていましたわ」
しばらく無言で考えていただったが、ふっと気配を感じて顔をあげた。
様」
「………ご馳走様でした」
そう言って立ち上がり部屋の出口に向かうの外套を、彼女は逃がさないと掴んだ。
「そうやって貴方はいつも逃げてばかり」
「いけません。貴方のような女性が私などと………」
外套をにぎりしめている手に手を重ね、を力を込めずにしかし力を逃がしていく。 「どうして?なにがいけないとおっしゃるのです?山鳥の長く垂れた尾のように長い夜を、私にひとり寂しく寝ろとおっしゃるのですか」
泣きそうな女性には優しく微笑んだ。
「私は大事なものほど安易に触れるつもりはないのです。それでも……貴方がそのような事をおっしゃるなら私はこの思いを秘めたまま二度と貴方と会わないでしょう」
だからと、女官を納得させて部屋を出る。
数人から情報を引き出すはずだったのに、この幼い外見を目印に、気付けば後宮中に名が広まっていた。女なので女官を抱けるはずもなく、後宮を立ち去る者はいないもの、求められては離れ、時が立てば戻りの繰り返しばかりで、今日のような事も慣れてしまった。
これで私が普通の男なら、藍将軍と張り合えたかもしれない。
全くもって嬉しくないが。



もう真夜中になる後宮を歩いていたは、前方に明かりを見つけた。
「あの男っ!毎度毎度………」
と呟きながら明かりを持った人が飛び出てきた。それをやり過し部屋に近付くと、かすかに泣き声が聞こえる。その女官の部屋は何があったのだろう、散らかったというよりも暴れたように物が散乱しており、泣き声は寝台の上、毛布を抱え込んで俯いた女官からの物だった。
寝台に近付き、泣いている少女の目の前に膝をつく。
「珠翠様?」
気配を感じたのか、頼りない声で女官の名を呼び、顔を上げた少女と目が会う。
見開かれた目には涙が溜まっていた。涙を拭おうと動くと少女の体はビクッと反応する。
それを見たは少女から離れ、手早くお茶を二つ入れて持って来ることにした。
女官にしてはなかなかの高級茶葉が置いてあるのを見て、おやと思いながら使わせてもらう。
一つを少女の足元に置き、自分も一つ手に取る。
先ほど出て行ったのはおそらく女官長の珠翠だった。ならば彼女があの男と言っていたのは、ほぼ完璧に藍将軍のことだろう。
少女がこちらを警戒しながらお茶に手を伸ばし、飲みはじめたのを見たは、少し微笑んだまま口を開いた。
「先ほどは驚かしてしまったようですね。私は李といいます。何があったのかは知らないけれど、男として泣いている女性を放ってはいられなかったので」
「………私は什綸(じゅうりん)と申します。様は李侍郎ですか?」
少女の声には少し冷静さが戻ってきていた。
「いえ、あれは弟です。凄まじい女性嫌いですけれど」
ふふふ、と笑う。
様はしゅ…藍将軍をご存知ですか?」
「弟の友人らしいけれど、私はまだお会いしたことがないですね。藍将軍と何か?」
什綸は悪戯が見つかった子供のような表情をした。
「………様は初めから気付いてらっしゃったのですか?」
「この部屋から目くじらを立てた珠翠殿が出て行かれたので、また藍将軍が女官を玉砕されたのかと思ったまでですよ」
「まあ………当りですね」
「…では什綸殿。このまま後宮を去るつもりではないでしょうね?」
什綸の無言を肯定と取ったは、彼女の足元に膝をついた。
「藍楸瑛がどれほどの男か知りませんが、一人の男のために女性が此処を去る必要なんてありません。これでもう後始末の出来ない子供に引っかかることもないでしょうし、勝手にやってくる縁談でも見れば良いのですよ」
様は女性の味方ですわね。それにしてもずいぶんな言い草ですけれど」
「……これでも抑えていたのですが、あなたが泣いているのを見てつい憤ってしまったようです」
「さすが女官に噂される方ですわね。おまねきしたかいがありました。私もこんな状態でなかったら、ふらふらと引き寄せられそうです。ところで様、もうすぐ珠翠様が戻られますが?」
「……そうですねそろそろ失礼します。また来てもかまいませんか?」
「ええ、様とお話していたら何だか心が軽くなりました。またいらしてください」
嘘を付けとは思った。
「そう言っていただけると私もうれしいです」
ふふ、ふふふ………と笑顔で二人は別れる。
「おまねきした」と言っていた。ならば事は藍将軍の事は嘘だろうか。いや、そんな事をしたら後宮での立場を悪くするだけだろう。つまり、什綸は立ち直ってから珠翠様に告げ口をして翔深を待っていたのだ。
面白い。
少女の名を心にとめ、は闇の中へと消えていった。

***
百人一首の「あしびきの〜」より訳を引用。
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