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親友と旧友
ドリーム小説 秀麗への見る目が変わった日、同じくを見る目も大きく変わっていた。
秀麗への変化が彼女の実力を知り良いものに変わったとしたならば、への変化はあまり良いものとは言えなかった。
珍獣扱いというのだろうか。今まで秀麗にされていたものを考えると些細なものだったが、廊下を歩けば確実に視線が纏わり付いて来る。しかしそれも、侍郎という立場を使って、黄尚書や景侍郎がを出歩かずとも良いようにしてくれたために朝晩にしかおこらなかった。
そして相変わらずの戸部で、は皆に気を使われていた。とは言うものの、出入りするほぼ全員が年上なので、どことなく娘や孫扱いされている気もする。そして重いものを持ち上げようとすると、必ずといっていいほど兼丁が飛んでくる。今はまだ進士達の相手で忙しいだろうと思うのに、代わりにやるという時の表情はどこか鬼気迫るものがあり、結局一度も断れていない。
せっかく謹慎を言い渡されず、仕事をすることが出来るというのに、何だか色々と申し訳なくなる。
「些細といえば些細だけれど…」
「気になるといえば気になる、と」
「ああ」
「……そこは『ああ』ではなく『うん』とか『ええ』とか言いなさい」
若干目を吊り上げて注意する友人に、今さら直す気はないとは返す。せいぜい秀麗殿から秀麗さんと呼ぶぐらいしか変えるつもりはない。
が女であることを公にした日、玉は燕青も裸足で逃げ出すような、それはもう恐ろしい形相でを廊下で捕まえた。出来れば遠慮したかったが、後が怖すぎて逃げなかった。否、そんなことはおそらくさせて貰えなかっただろう。
『ふふ……友人である私に今まで黙っているとは…良い根性です。覚悟は出来ているんでしょうね…?』
『……ハイ』
すぐさま玉の邸で寸法を測られたのは言うまでもない。そして彼の恋人には全て話していたので、なるほど妙に彼女と仲が良かったのかと納得したようだ。どうやら恋人と妙に仲の良い男として友人に負担をかけていたらしい、申訳なく思った。
「で?」
「…で?」
「楊修にはちゃんと会いに行ったんですよね?」
嫌な予感がする。
「……何故?」
!!」
「…っなんだ!」
怖い。玉からまた武官でもないのに大量の殺気が出ている。顔が整っているから、さらに迫力満点。
「向こうは、あなたを男だと思って接してきたんですよ」
「それは玉も変わらないし、むしろ楊修さんの方が知り合ったのは後なんだから…」
「私と彼とは別です!!ったく…これで晴れて男と女として向き合えるってのに…」
は苦笑した。
どちらにせよ変わらない、そうは思っている。
玉の言わんとすることは理解出来ている。確かに世間から見れば男同士なのと男と女であることは大分違う。けれどそれはあくまで普通ならだ。どちらにしても叶わないならば、男だろうが女だろうが大差ない。そしてそもそも、自分は楊修に対してそんな感情は持っていない。そんな感情を未だに自分は知らないのだから。
「そのうち、ね」
、あなた…」
「じゃあ、今日はそろそろ帰るよ」
「いいでしょう…けれどせめて、自分がどんな顔をしているかぐらい自覚しなさい」
首をかしげながら、鏡を受け取り、覗きこむ。
「…」
寂しそう、悲しそう。そうが認識している顔がそこには映っていた。
困惑することしか出来なかった。



だからといって、どうしようもない。
そうは思い、考えることを放棄した。それは間違っていなかったと思っている。けれどこの状況はそのことへの罰か何かなのだろうか。そう考えるのが一番しっくりする。
丁度良くの仕事が終わり、相手も相手で今日は休みだというので訪れた世間一般とは別の意味で馴染みの妓楼。そこでなぜか未だに滞在していた碧宝によって女装――――とはもう言わないのだろうが――――させられ、少し疲れて通されたのは絶世の美女の部屋。しかし主は不在で、かわりに堂々と、先日玉が名をあげた友人が一人酒を飲んでいた。言われるがまま酌をするが、いつまでたっても互いに無言。まさか吏部覆面ともあろう男が、気付いていないはずはないだろう。
それよりもこの友人は意味もなくこんなところにいる男ではない。仕事と言うことは無いだろう、強いて言うならここは御史台の領域だ。官吏が悪だくみをする場所。
考えにくいが仮に胡蝶を買ったとして、ならば彼女がここにいないのも、が通されるのも可笑しい。一体誰がどんな目的で行っているものだのだろう。
一番ありえるのは胡蝶かあの碧宝だが、動機や楊修を使う利点が思い当たらない。
どうしたいのだろう。このままいけば、朝まで飲み明かしになりそうなのだが。慨に、少しばかり彼にしては異常な量を摂取している。本当に一体どうしたのだろう。
「飲みすぎです」
「…」
「楊修さん」
そこで初めて、楊修はまともに顔を上げてを見た。
…?」
「はい」
珍しく素の彼にしてはぼんやりとした声に、もう少し早く止めるべきだったかとは思う。
「今、お水を持ってきますね」
「…」
そう言って立ち上がったところで、ぐいと服を後方に引かれた。
予想外の事だったが受け身を取り、床に軽く体が付いたところで転がろうとする。けれどそれも服を床に縫いとめられ、仰向けにされた。
一瞬ののちその仕事ゆえにある程度は鍛えている楊修に、不意を突かれたは押し倒されていた。仰向けにされ、横は両腕に、上は楊修に塞がれる。何を考えているのかは不明だが、殺気はない。全く持ってどうゆうことなのだろうか。
いまここで一言彼らを呼べば、気配がわからないほどの距離に控えているとはいえ、安易に抜け出すことが出来るだろう。蹴り上げたり傷つけても良いのなら、一人でも可能だ。
けれど、どうも今の彼はおかしい。逆光になって判別しにくくはなっているが、それでもある程度鍛えられたの目は、その表情をほぼ理解していた。
「……一体、どうしたんですか」
どうしてそんな泣きそうな顔をしているのか。
「誰が知っていたんですか…?」
「はい?」
「―――――あなたは…あなたが…女だなんて私は知りませんでしたよ。あなたが女性だってことを、一体どれだけの者が…」
萎んで途切れた楊修の言葉にしばし思考をめぐらせて、は答えた。
「知っていたのは紅家の人がほとんどですよ。後はちらほらと。…すみません。今まで騙していて」
まさか王が知っていたとは流石に言えない。そして藍家のことも。
「ちらほらですか」
「はい」
にしてもどうしてこの体勢のままなのだろうか。でもなぜか、こうされていることに対しては正直それ程の不快感がない。この体勢は嫌でもの醜さを思い知るので大嫌いだったはずなのだが。むしろ今は、そこに楊修がいるのが気に食わない。落ち着かない。
違うのに。
その体勢でいないでほしい。しかもこんなうってつけの場所で。
彼はあれらとは違うのに、同じ事をさせようとしているような気になる。の隠している醜い部分が出てきそうで怖い。
「退いてくれませんか」
「嫌です」
「楊修さん」
「何もしませんから」
「…そんなことわかってます」
諦めて、は体の力を抜いた。それを見て、楊修の腕がを抱きしめる。やはりそういった不快感は無く、なので抵抗もしなかった。
目を閉じれば、楊修の呼吸と酒の匂いがする。
はらりと彼の髪がの頬を撫でた。
楊修がなぜこんな行動に出ているのかはわからないが、どうやらしばらくは離れてくれないようだった。



次の夜、は紅邵可邸を訪れていた。
絳攸達が来ることを控えているこんな時期に本当はあまり来るべきではないのかもしれないが、まず間違いなく茶州に帰ってしまうだろう燕青とともにここに世話になっている者に会いに来たのだった。
お世辞にも綺麗でない門の前では少し足を止め、しかし門を潜った。とまどう静蘭に声をかけ、通してもらう。
「おや」
「どうなさったんですか様…!」
「突然お邪魔してすみません、邵可様、秀麗殿。申訳ありませんが忠銘(チュウメイ)を…」
「久しぶりだな!!相変わらずちっせーな!」
の言葉はすぐに大声に妨げられた。さらにぐりぐりと頭を撫でまわす。
それを体全体で振り切って、忠銘の腕を掴んで部屋の外へと引きずり出す。その勢いのまま、持っていた桐箱を押しつけ、距離を取る。今年で二十八ぐらいだろうか。元から燕青と同じぐらいにはがっしりした男であったが、約五年ぶりに見る忠銘は長身に長髪のまさに逞しそうな男になっていた。思えば掴んだ腕も、武官と同じ様な太さだった。
仮にも榜眼及第の優秀な文官であるこの男が、一体なぜこれほど筋肉を持っているのだろう。
と、いきなり桐箱を押しつけられて状況を全く理解していなかった忠銘はしかし、中のものを見るとすぐに理解したようだった。
ばつの悪そうな顔をしてに視線を合わせた。
「これ全部か?…悪いな、俺が勝手に茶州にいったばかりに迷惑かけたみたいで…」
「全くだよ」
「…いや、あの時は」
「今更言い訳は聞きたくないな」
「……」
切り捨てると忠銘は沈黙した。
「…それで、大丈夫なのか?」
「お前には全部情報が来てるんだろうが…あんまりだな」
「次期州牧が危険に晒されるようなことでは困るんだが」
それこそ怒り狂った黎深によって茶一族が滅ぼされかねない。まだ正式に決まったわけではないが、おそらく主上は決断をするだろう。
そしてそれがどれだけ危険だろうとも彼女は行くのだろう。
ただでさえ黎深が主上に嫌がらせをしそうだというのに、そんな面倒事はご免だ。そしておそらく彼女に何かあれば、黎深だけでなく多くの人が悲しむのだろう。
「それで、俺らが来たんだ」
はため息をついた。
「…二人とも一応文官だろう」
「一応って…」
あのなーと忠銘はを見下ろして言った。にらみ合い。
そこに秀麗がそっと声をかけた。
「あのーお二人ともお茶が入りましたが」
「おう。ありがとう、秀麗ちゃん」
何だか馴れ馴れしい気がするのは気のせいだろうか。そしてもしや、忠銘はが女であることを知らないのだろうか。
不意に風がの頭上を吹きぬける。纏めきれていない髪が頬をくすぐって思わずゾワリとした。
?」
「……いや…何でもないよ」
にこりと二人に笑顔を取りつくろって、は忠銘に続いて室内に入った。




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