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妓楼での最終日
ドリーム小説 休日前というのはどこの店でも、狙いの日である。
それは花街でも当然の事で、通りは夕暮れ時から何時も以上に混雑している。
は貴陽随一の妓楼の最上階からそれを眺めつつはぁと息を吐いた。
「何してるんだい、
振り向けば、今夜の用意を済ませた胡蝶が部屋に入って来る。
最上階にあるこの一室は胡蝶の部屋なのだから当然だが。
胡蝶は今日も絶世の美女だった。磨きに磨いた魅力で普通の男なら微笑一つで落ちて財産も全て放り出してしまうほどらしいのだが、彼女を何度も袖にしなおかつ濃密な口付けまでしてしまっている同性のは全く動じない。どきりともしない。それはもう申し訳ないぐらいに。
諸事情あって此処の手伝いをする事になって約一ヶ月、胡蝶からの穏やかな攻撃も毎晩おとなしく聞いているとそれなりに無くなり、気付けば胡蝶とは気心の知れた友人のような関係になっていた。
「…今日で終わりなんだなぁと少し寂しく思っていたところだよ」
そう言えば、艶やかな声に僅かに不機嫌さが混じった。
「嘘をつきなよ……そんなに言うならこっちを本職にしてくれてもかまわないんだけどねぇ?」
は苦笑した。が此処の手伝いをする時に交わした約束事の一つに、期間限定というのがあるのを知っていて胡蝶は言っている。
惜しまれている。それは今まで此処でがした事を認められていると言う事で、それが妓女としてであってもなんだかとても嬉しい。
「わかってるよ、今回は無理を言って悪かったね……楽しかったよ」
「………私もだよ」
本当に楽しかった。『藍様のお願い』や『お大尽様』など色々な事が絡まって純粋な仕事にはならなかったけれど、自分を磨き上げた妓女達の話は能吏達のそれとは別の意味でへの刺激になった。
「さあ、そろそろお大尽様がいらっしゃる時間だ。心の用意をおし」
この声をかけられることも今日が最後だ。こんなふうに仕事前の夕暮れにぼんやりと人々を見下ろすのも。素の妓女達の会話に混ぜてもらってお菓子を貰うのも。
寂しいというにはいささか少なすぎる感情。
でももしかしたら本当に、本当に少しだけれどそうなのかもしれない。
ふっと慣れた気配がの頭上に舞い降りる。胡蝶が退室したのを確認して入れと促せば、一瞬の後に部屋には椎が立っていた。
紅秀麗や杜影月といった進士達につけていた彼がやってきたと言う事は、なにか宮城であったのだろうか。
それとも『いい歳してやることなし昇進打ち止め猿山の大将』などと言った碧珀明に身の程を思い知らせたのがやりすぎて、玉の怒りでも買ったか。だったら面倒だとは思った。友人はどうにもあの碧家の少年を気にかけているようだったので。
けれど推が知らせに来たのはそんな事ではなかった。
「明日当たり宗主様が宮城にて拘束されるやもしれません」
「……………何故?」
そんな事をすれば、紅家を敵に回すことになる。
「私の憶測ですが…黎深様が紅家当主であることを知らないのかと」
「……」
何も言う気になれなかった。むしろ哀れにすら思った。
「黎深に伝えてといてくれ。まあ、余り意味はないだろうけれど」
想像を超えた小物っぷりになどは戦意喪失したが、黎深はそんなに甘くない。馬鹿だとせせら笑いながら、主上への嫌がらせにでもするのだろう。大人気ない。
「あと、玖琅様ですが……」
椎の話に、へぇとは目を細めた。
「…嫌な話だ」
これだから大きな家というのはどうも好かない。それでもあの家よりは大分良心的なようだが。それは彼の性格だろうか。
会ってみるかと、は思った。



そして空が雲ひとつない澄み切った色となった休日。
誰もいない邸に戸惑いながら入っていく弟をそっと見送りながら、は腹立たしいようなそれでいて悔しいような寂しいような気持ちになっていた。せめて素直に邵可に感謝しておこう。
「…秀麗姫が胡蝶自室に監禁されました」
横に現れた二人のうち椎がそう報告する。
一方秋葉はあいかわらずの無表情で視線をよこす。瞳は気遣う色をしていた。
さらと背後で衣擦れの音がした。
秋葉に大丈夫だと視線を返して、二人を下がらせる。
はふんわりとした女物の服がなるべく上品に見えるように注意しながら振り返った。
黎深とは種類が違う、一目で大貴族とわかる風格と人を従えさせる視線に、びりと緊張が走る。けれどそんな事に屈する訳にはいかない。
いくらこの人自身は好きだろうと、今回の件に関してはこの人に一言言わせてもらわなければ気がすまないのだ。そしてその後はその後で予定がつまっている。
「初にお目にかかります玖琅叔父様」
「鈴…いやか」
李姫など現実にさせてなるものか。



少々乱雑に女物の服を脱ぎ捨て、小豆色の官服を着て髪を整える。
戸部で適当に礼部あての書類を引っつかむと早足に礼部へと向う。
玖琅の性格を考えると、時間がない。
さりげなく主上の執務室に行く事を伝え、わらわらと集まってくる連名書を掻き集める。
ついでに紅家が怒ったらしいと噂を流す。
抱えきれないほどの連名書を持って、入室してきたに劉輝は目を丸くした。
「何だこれは?」
ばんと、書類を地面に置く。
「紅秀麗の進士返上を求める連名書と書状です。明日午後にでも査問会を開いてください」
う、うむと劉輝は頷いた。
「黎深が拘束されて事は知ってますよね?恐らくもうすぐ紅家が活動停止します。覚悟してください。玖琅様が貴陽に来てますからね。後これ預かった印です。紅秀麗ですが……」
「―――――主上、静蘭から紫紋の直文が届きました」
楸瑛が入室してすぐにそういう。は耳だけ向けて書類整理に向った。
「影月は?」
「秀麗殿と一緒に、花街で監禁されたようです」
楸瑛がつづける。他はが知っている事だった。同じように連名書を持って絳攸が入って来る。元気になったようだった。官吏の表情になっている。
全ての報告を聞き終えて、劉輝が剣を持って立った。
「秀麗のところへは余がいく」
「紅家が活動停止したら呼び戻しますからね」
の言葉に初耳の二人が振り返る。
「わかった」
劉輝が出て行くと、何故か笑顔の二人に挟まれた。
「………紅家が活動停止ってどうゆうことだい?殿」
「玖琅様が来たことも知っていたんですよね」
けれどがそんな言葉で困るわけもなく。
「うん。手加減してくれるそうだし範囲は貴陽って聞いたけれど…嘆願書が山のように届くことになりそうだから今のうちに書類整理しておかないとね」
「手加減とは」
「さあ?そこまでは知らないよ。『私の』が何とか拾って来た情報だからね」
「私の?」
楸瑛が首をかしげ、けれどすぐに思い当たったようだった。
「…元気になってよかったよ絳攸。黎深があんなんでごめんね」
絳攸に向き直りよしよしと撫でれば、呆然とした表情で気付いていたんですかと返って来た。
「藍将軍が気付いて、私が気付かないとでも思ったのかい?」
見くびられた物だねと悲しそうにすると、そんなことありませんと絳攸が勢い良く否定してくれた。
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