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いざ、茶州へ
ドリーム小説 女人であると公にしたことで忘れていたが、は玖琅には会いたくなかったのだった。

「はい」
夜遅く秀麗、静蘭、忠銘が席をはずした部屋で、背筋を伸ばし、ともすれば逸らしたくなる玖琅の視線を受け止める。この人の視線は黎深とは違い、紅家中心の私心のないまっすぐな視線だからこそ受け止めるのが難しい。自分を試されるような気がする。
「玖琅」
邵可が咎めるように、玖琅の名を呼ぶ。それでけで渋々といった感じだったが、視線は柔らかくなった。
邵可に問いかける様に視線を向けると、穏やかに彼は笑う。
「反対はしないよ。絳攸殿は良い青年だしね。でも決めるのは秀麗だと思っているよ」
「私は反対です。紅家存亡の危機などと玖琅様に言われて絳攸が断れるわけがありませんから。どうせ玖琅様も、そうせざる負えないような言い方を為さるのでしょう?」
皮肉げに言ったが、玖琅は当然だとばかりに動じない。さすが手強い人だ。
思わずはため息をついた。
「……どこかに適切な青年はいないのですか?そちらの伯邑様など」
「…お前は紅家の人間だ。私の息子に様はいらない」
「では伯邑殿でよろしいのでは?あの方ならば、わざわざ貴重な紅家直系の娘と結婚させなくても済む。それに…秀麗姫の意思を無視した言葉ですが、紅家直系の姫はもっと有効な使い方があるのでは?」
声には出さなかったが、例えば王の妃など。
横を見れば、邵可が心配そうにを見ている。どうやら今から言うこと察してくれているようだ。けれど。
「それとも…私がなりましょうか?」
殿」
「………何を言っている」
表情で止めないでくれと訴える。
仕方がないという顔を邵可がして、は視線を玖琅に戻した。
「秀麗姫が官吏になるのを止めなかった玖琅様ならば、ご理解いただけるのでは?」
自分でも挑戦的な表情をしていることがわかった。
「伯邑に嫁ぎ…初の女性紅家当主となる気か」
「女人官吏を二人も輩出している紅家としては不自然ではないかと」
そう、二人も。
「己の問題に紅家を巻き込むな。…相当な反発に合うぞ」
「それでも…紅家当主であり官吏であり続けてみます」
そのための相手として、直系であり補佐の教育を施された伯邑ほど相応しい者はいない。
「………考えておこう」
「よろしくお願いします」
長い沈黙の後に玖琅が返事を返し、は肩の力を抜いた。



そうして、泊っていくようすすめられたのを断っては一人岐路に着いたのだった。
内心では、少し焦りながら。
「…何?」
とそう呼んだ静蘭からは、彼の面影がまだ少し滲み出ている。
けれどあの時のような、全身を圧迫される感じはしなかった。
「怪我は大丈夫でしたか」
「…何を言ってるんだ君は」
二人きりで話すのはあれ以来だが、幾度か邵可邸へ姿を見せていたにわざわざ尋ねることなのだろうか。
「いえ…私は昔からあなたに怪我をさせてばかりでしたから」
「今更だね」
そう今更だ。そんな話に時間を割くわけには行かないのに。
「…だからさっさと君は帰りなよ」
「…?」
突き放した言い方になってしまったが、時間がない。もし、何かが起こったとして今回は巻き添えにしない自身が無いのだ。様とすぐ近くで椎の声がして、様子が耳打ちされる。少し汗が背中を伝った。どうも予想以上に悪い結果を招いてしまったらしい。
「静蘭…頼むから早く邵可様の所に戻ってくれ。私は面倒事に君を巻き込みたくないんだ」
「どういうことです」
「頼むから」
にしては珍しく畳みかける様にそう言いながら、来る方向に体を向ける。
今にも音が聞こえそうで焦る。
椎が警戒した次の瞬間、の周囲を紅家の影が取り囲んだ。
「いいから走れ!」
静蘭にそう叫ぶ。やっと静蘭が駆け出し、すぐに見えなくなる。
あとで邵可と静蘭には事情を追及されるかもしれない。
そんな機会があればだが。
それよりも今が問題だ。非常に不味いことこの上ないが、自分で決めてしたことだ。責任は取らなくてはならない。
、貴様っ!」
「……黎深」



子供が家を飛び出すのを家出と言うのなら、子供が家から飛び出さずにいられないようにされた場合は何と言うのだろうか。は決して家出したかったわけではない。それがあるのは絳攸の方だろう。性格的に無いだろうが。
そんなわけで黎深の怒りのもとに追い出された黎深と椎と秋葉の三人は、悩んだ挙句、黄鳳珠の所を訪れていた。黎深が手を出しにくい所で、なおかつ友を取られる黎深への嫌がらせの気持ちが無かったとは言わない。
それでも師匠の一人を見た途端、は思わず事情を全て話してしまった。自分で思っている以上に誰かに聞いて出来れば助言してほしかったらしい。
にとって黎深派やはり友の部分が多い。今回のようなことで友と対立するのは、本人の考えや気持ちを知っている分苦しい。
面食らった顔をしたものの、結局鳳珠はそれでお前がいいならと滞在することを許可してくれた。
ありがたい。
そうして出仕して数日。
は上司に呼び止められた。聞けば燕青からの報告によるとどうにも茶州の財政圧迫が深刻なのだという。
「それで私ですか…」
いくら茶州の財政が酷い物であろうと、侍郎が出ていくことは異例だ。
ならばこれは一時期中央から退いておけという上司からの命令と受け取るべきなのだろう。
そして危険地域故、財政を立て直して帰ってきて時の見返りも大きいと。そしての腕なら大抵の者は敵わない。
は構わないと思った。尊敬する黄尚書から要らないと思われていなのなら、これぐらいのこと拒否するほどの事ではない。ただ茶州に行けという命令は王から告げられると思っていたので内心驚いていた。
「――――行ってまいります」
二度と足を踏み入れることのないと思っていたかの地へ。
おそらくは新米の新州牧と。



広間に集まるよう言われた時に、このところ戸部での引き継ぎに追われ主上の所に顔を出していなかったでも大体の事は予測できた。
花を与えられた紅秀麗が新州牧であろうと。静蘭に莫邪と対になる干將を。
が、二人。しかも蕾という花を付けて来たときは思わず笑ってしまった。
進士と茶州高官の官位拝命式が終わった後、差し迫った期限から逆算して足早に立ち去ろうとしたを呼びとめる声が会った。ざわりと周囲に人だかりが出来る。
「…陛下」
こんな侍郎とはいえ、一文官に何の用だろう。
「黄尚書から話を聞いたそうだな?」
「はい」
ならば渡しておきたいものがあるといわれて彼が差し出したのは一振りの剣。
ビリッと衝撃が走った。
一瞬で浮かんだ多くの事に頭が混乱する。
何を言えばいいのか、何が安全で正解なのか。
「………」
私がこれを拝受していいのか。
「この翔生は兄上が――私の敬愛する清苑兄上がある人に贈りたいと思って作らせたものだ。自分を大切に出来ないその人に優しく出来なかったと…兄上はこの剣を見ながら悔いていらっしゃった」
嘘なのではないだろうか。
そんなことはじめて、知った。
「そのたは強いがどこか脆い。この剣を戒めとしてそなたに」
ざわり、ざわりと周囲がざわめく。
去年の春の事を言っているのだろうか。この人に弱さを見せた覚えは無いのだけれど。
「―――謹んで、お受けいたします」
意識せずに口から出た言葉は、かの人と同じだった。



出立の日を前に、は引き継ぎを終え紅家別邸へと乗り込んでいた。
紅家には影がいるので、そしても椎を使ったので、ここに黎深と絳攸も居ないことはわかっているが、それでもどこか空き巣にでも入った気分である。
万が一のために男物の服を持ち、後は必要最低限なものを入れて袋を閉める。
部屋の扉に手をかけた時、このままでいいのだろうかと思った。
このまま黎深と顔を合わせずに茶州に行って、万が一自分が死んだら。
黎深は悲しむだろう。
がどれぐらい好かれているとかそういう事ではなく、自分の知らぬところですれ違ったまま関わった人間が死んだら、黎深は悲しむだろう。
決して表には出さなくとも、心を痛めるだろう。
「すまない椎。先に帰っていてくれないか」
「…御一緒します」
「手を出すなよ」
「心得ていますよ」
そうして黎深の部屋で待っていたら、黎深と一緒に絳攸も帰って来た。笑顔を浮かべた絳攸を、怒りを露わにした黎深が扇で追い払う。
渋々、絳攸が部屋を出ていく。おそらく迷わずに部屋に帰れただろうから後で会いに行こう。
「………」
「………」
沈黙。
「………黎深」
「何だ」
がいない朝に、一人で髪を結う黎深が浮かんだ。
「茶州へ行くので、挨拶に来ました」
「いらん」
何とも素っ気ない。
「ちゃんと絳攸を見ていて下さいね。あんまり口うるさく言ってはいけませんよ。仕事してくださいね、陛下を苛めないでくださいね。あと…」
「…おい」
「はい?」
「段々、百合に似て来ている」
「ありがとうございます」
「褒めていない!」
前回、周囲に迷惑なほどの喧嘩をしておいてどうしてこう腹が立たないのだろう。
黎深はやっぱり黎深だ。
「互いに少し、考える時間も必要でしょう」
「私には必要ない」
「私には、茶州で向き合わなければならないものがあるんです」
「…………」
黎深が眉を寄せた。
「それがすんだら、色々と話せるようになる…と、思う」
確証なんてない。もしかしたら悪化するだけで、今のように逃げることも出来なくなるかもしれない。けれど会いに行こうと思っていた。心が許すなら、可能ならば。そう何時も思っていた。
「行ってきます、黎深」
「…っ、勝手だ」
その声は拗ねていた。



出立の日、達は二台用意されたオンボロ馬車に荷物を運びこんでいた。
燕青をはじめとして旅慣れた者が四人もいる。秀麗の希望に沿って自炊をすることが多くなりそうであるから、保存できる食糧も積まなくてはならない。秋葉が用意してくれた薬も積み込み、同時にそっと毒も隠し持つ。
少量とはいえ肌身離さず持っているのは面倒だが、まかり間違って誰かが飲んでも、知識のある影月を驚かせるのも申訳ない。
男物の旅人風の服の上に主上から賜った剣を差す。
『自分を大切に出来ないその人に優しく出来なかったと…兄上はこの剣を見ながら悔いていらっしゃった』
『…私は昔からあなたに怪我をさせてばかりでしたから』
本当、なのだろうか。あの暴力しか与えてくれなかった清苑が。可哀想な子供がそんなことを思っていただなんて。
様っ!!」
「…っ!秀麗、さん」
振り向けば、と同じく旅人風の服に着替えた秀麗が、怒った顔で駈けてくる。後ろにには影月や静蘭、燕青と、出立式に出た者達が続く。
「どうして出立式をすっぽかされたのですか!」
「私はただの戸部官吏ですから」
にっこりと笑うとうっと秀麗は声をつまらせた。
「戸部侍郎が何も言わずに消えても良いんですか?」
静蘭が呆れた声で言う。
全く別の事に気を取られていたはやや遅れて答えた。
「…鳳珠様のご命令ですから」
「…?」
失態を追及される前に、確認に戻る。
「燕青!これぐらいの食糧で足りるか?」
「んー?大丈夫だ!」
それぞれの外に静蘭と燕青が座り、前に秀麗と影月の新州牧達。後ろでは忠銘と香鈴向き合って乗り込むことになっていたのだが。
「本当について来るつもりか、椎」
「当主様のご命令と、何より私達の意思ですので」
何が何でもついて来ると言って椎は譲らない。
「すみません!みなさん、少しよろしいでしょうか?」
様?何でしょうか」
「はい?」
「…何でしょう」
「何か問題あったのか?」
集まって貰ったのはいいが、影と説明しても分からぬ者もいるだろうし、さてどう言ったものだろうか。
「この者は椎、私の護衛なのですが…何としてでもついて来つもりのようなので同行させてもよろしいでしょうか?」
「え、はい。大丈夫…だよね?燕青」
「おー、腕っ節の立つ奴みたいだしな?」
椎の体を眺めて、にかっと笑って燕青は言った。
「…様の護衛ですから。貴方よりは」
「ははっ、さすがの護衛って感じだなっ!」
忠銘がからからと能天気に笑う。
「…どう言う意味だ」
「んー?」
「えっと…?」
と忠銘に挟まれて、影月がおろおろする。
結局、総勢八人となった。

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