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躊躇して
ドリーム小説 主上付きだが花を下賜されず、けれど双花菖蒲の片割れの兄で主上の信頼は厚い。そんな微妙な立場のは、今日も今日とて弟に罵倒された主上の横にいた。
「ほら、さっさと書く!」
「はいっ」
が、横にいるだけで仕事以外何もしない。つまり、基本無言。
時々助け舟を出す楸瑛がいなければ、劉輝は泣いていただろうと思う。
「ああ、殿」
乾いた書類を劉輝の机の上に置いたは、再び机に戻りながら返事を返した。
「何でしょう」
「例の噂は本当?」
座って、新しく未処理の書類を取ろうとしていたは手を止めた。
「噂とは?」
「おや、知らないのかい。戸部に新しく侍郎が就任するって噂だけど」
「そうなのか!?」
書類を手元き、筆を墨に浸けながらは言った。
「……らしいですね」
「誰なのだ?」
「知りません」
普段よりも若干愛想のない返事を返して、仕事をするに、楸瑛はおやという顔をして片割れに視線を向ける。が、その視線は彼の兄を見たままだ。
「な、何か怖いのだ」
「……兄上なのではないですか?」
「まさか」
すぐさま返って来た言葉はしかし、懸念を打ち消す程では無かった。



「お断りします」
聞きなれた声の、しかしここにおいてはほぼ在りえない言葉に、戸部の先鋭官吏達は思わず動きを止めた。
「荷が重すぎます。私はまだまだ未熟ですので、碧官吏や高官吏といった方々が適任だと思います」
「二人ともお前を推している」
間を入れずにかえされたが、それでもは引かなかった。
「納得出来ません」
「ほう、お前は自分の力量ぐらい性格に認識していると私は思っていたがな」
黄尚書の言葉にぐっとは息を詰まらせた。
官吏達は顔を見合わせた。
まさか、本人が分かっていないはずがない。
支えている自分達でさえ、彼が侍郎に相応しい能力を持っていることが分かるのだから。
「失礼します」
書類を抱え戸部を出て行くに官吏達は思う。何が彼を思い止まらせているのだろうかと。



「暗鬱と言った所でしょうか」
囁かれた言葉に、すぐさま半ば飛び出してきた戸部の事が浮かぶ。
書類を受け取りながら小声でそういった官吏を見つめ、一拍ほどで気付いた。
「少し多いので、手伝いますねー」
高音で少し語尾を伸ばした声で言った青年に付いて行くと、工部官でも滅多に来ないであろう小部屋に入った。
青年は重い音を立てて、書類を床に置く。それを見計らって、は口を開いた。
「そんなに酷い顔をしていましたか?」
「ええ。いつかの絳攸のようでしたよ」
そんなに酷いかとは思った。青年−楊修がパンッと軽く手のひらを打ち合わせる。
「余り時間も取れませんし、さっさと暴露しちゃって下さい」
「したとして、何か言ってくれますか?」
「内容によります」
あっさりとした答えに、は笑った。
「私は戸部の侍郎になります。けれど、なりたくありません」
「何故です?」
「何故?身に余るからですよ」
嘘ではない。本当に身に余るのだ。あの人と並ぶなど。
「それでもあなたは選ばれた。景侍侍郎への尊敬も良くわかりますが、・・・臆病になっているだけじゃないですか?」
楊修の言葉に、ひゅと変に息が出る。
「っと、追い詰めるのでは逆効果でしたね」
急にぐっと顎を持ち上げられれば、目の前に楊修の顔があった。
「少し自信を持ちなさい。高官になる事は、確かに責任大きくなりますが、その分民草を助ける力が与えられます。・・・その地位を力を、黄尚書があなたになら預けられると思っているのです。あなたはただ、その地位に着けると言うことを誇りに思いなさい」
「………っ」
は自分の体から、ふっと力が抜けていくのを感じた。
「・・・・頑張ってみます」
「ええ。そうしなさい。・・・では仕事に戻りましょうか」
「はい」
言われたのはそれ程珍しい言葉では無かった。ただ、当たり前のことを言ったまでだと彼は思っているのだろう。
それは確かに自分でも言い聞かせていた事だった。ならばこれは、彼に言われた事が嬉しいのだろうか。
どく、と音がして、息がつまった。
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