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獄舎の冷え
ドリーム小説 此処は何と冷える所なのだろう。
は大きなくしゃみをし、そして自らの体を抱きしめた。
「大丈夫ですかー?」
格子越しに隣から聞こえてきた抑えた少年の声に、も抑えた声で大丈夫だと答える。
前例があるため主上の判断に怒りは覚えないが、せめて彼らをもう少し暖かくすごさせて欲しかった。これではが毛布や温石を掻き集めて来るしか無いではないか。
一向に眠れない事に心中で溜息を付き、音を立てずには寝床から這い出した。彼らのいる牢の鍵が掛かっているのを確認し立ち上がる。
『呪いの第十三号棟』からの精神錯乱者の移動から数日後、ついに残された二割の受験者の訴えを重く見た主上は、龍蓮を筆頭とする十把一絡に『クソガキ』とされた少年少女達を前例通り獄舎へと入れられ、当然龍蓮抗体を持つも監視役として獄舎に寝泊りする事となった。
この獄舎は、現在投獄されている犯罪者がおらず、又龍蓮の笛害のため、獄吏も官吏も入り口には立っていなかった。ゆえに誰にも会う事無くは獄舎を出、駆け足である場所へと向かった。彼がいる事を願いながら。
明かりが漏れている事に安堵しながら体を滑り込ませて中に入る。一体何があったのだろう、そこは床一面が本で埋もれていた。それを掻き分ける様にしながら主を探す。暫くすると見知った気配が気を緩めるのを感じ、薄暗い仮眠室を訪れた。
「この子はあなたの為となると無理をしすぎます」
責めるでもなく言いながら、は弟を見つめた。何日徹夜をしたのだろうか、目の下にくっきり浮かんだ隈が一生取れないかの様に見える。
「あの洟垂れ小僧」
「主上に当たるより貴方が働いた方が絳攸の負担は減りますよ」
はそれっきり黙って絳攸の髪をすき続けた。
暫くしして、背後で黎深が鼻をならした気配を感じは薄く微笑む。これで少しは仕事をしてくれるだろう。
が仮眠室を出ると、黎深も出てきた。
「それで?お前は何をしに来た」
「邵可様に毛布を借りようと思いまして、なんせ獄舎は野宿並みに冷えるものですから。受験者、特にあなたの姪に風邪をひかせるわけには行きませんでしょう?」
「直に用意させる!」
この間の秀麗の風邪を思い浮べたのだろうか、黎深の反応は速かった。
「ありがとうございます。他の受験者にも使用させますが、よろしいですね?」
「勝手にしろ。ただし秀麗には何があっても風邪を引かせるな。良いか、何があってもだ」
「はいはい」
この姪馬鹿と思いながら、自分が秀麗に向ける感情について何も言わない事に安堵する。天つ才の彼が、この気持ちに気付いていない事はないだろう。けれど願わくば気付かないで欲しい、気付いても何も言わないで欲しい。何故かそう、は祈るように思った。



権力を持つ姪馬鹿のおかげで、は大量の温石と毛布、後何故か紅州蜜柑や入れたてのお湯を牢獄に持って帰る事になり。皆で白湯を飲み、温石を抱え、毛布を好きなだけ被って達は短い眠りに付いた。
それ以降は黎深のおかげで、野菜は届くわ、鳥は届くわで、秀麗達は困り事無しに国試を終える事が出来た。ただ一つ、と龍蓮以外は気味が悪いと言う思いのみを残して。

「何だい龍蓮」
「今宵は心の友其の一の家で見事な鍋料理を頂こうと思う」
「そう」
「して、も共に暖を取りにいかぬか?」
の気持ちを知っていて誘っているのであろう龍蓮を、は軽く見て笑った。
「遠慮するよ。後始末をして主上の所に行かなきゃならないし、私にも家族がいるからね」
「……うむ。わかった。では行って来る」
それは殿試ではなく、旅立ちの意味には取った。半ば予期していた事だが、龍蓮は受かっても官吏にはならないつもりなのだ。
「いってらっしゃい。またいつでも家においで」
こくと龍蓮は頷き、殿試会場へと向かう。その背を眺める事無く、は毛布や温石を獄舎の入り口隅に固めて置きはじめた。こうすれば人がいなくなったころ、紅家の者が回収しに来るだろう。さらに軽く獄舎の掃除をして、主上の元に向かう。
途中で師匠と会ったが、忙しそうなので挨拶のみですまし、執務室の扉の前で軽く息を整えて入室する。
一目見て、今日呼ぶべきでは無かったと劉輝は少し後悔した。
「すまない、ご苦労だった。風邪などはひいていないか?」
「はい。過去に例がある事でしたし、その父に毛布などを用意してもらいましたので問題ありませんでした。けれど次回からは、受験者達に毛布などを配布して下さればと思います」
それでもは何も変わりなく報告をし終え、劉輝は彼女がいない間に進めた草案を取り出した。
「ところで、そなたが提出した例の件なのだが……やはり今の位のままと言うのは」
「そですか」
「これが通ったあかつきには、そなたはやはり戻るのか?」
「いえ、主上付きの私が使えば、またかと下世話な噂を流す者もおりましょう。長い目で見れば良案の女人受験制度とは違い、こちらは朝廷にはそんな者もいるというのを知らしめるのが目的なのですから、実際に使用するのは女人がある程度認められてからの方がよろしいかと」
そう呟くに、劉輝は嫌なひっかかりを覚える。それはまるで、其の時にはもうこの女人は存在しないとでも言うような、なんとも言えぬ感触。
そなたは」
妙な心配である事は自分でも分かっていた。けれどここで引き止めなければもうそんな機会は永遠に無いような気がした。兄の時のように何も出来ないわけではない。だからこそ何とかして自分の大切な者は失いたくなかった。もう二度と。
次にが口にした言葉は、幸いにも劉輝の心配が今は無用であることを証明してくれていた。けれどその言葉は劉輝に、簡単には解けぬ疑問を浮かばせる事となる。
『ご心配無く、私だけならばいつでも処罰無く通す事が出来ましょう』
一体彼女は何を切り札に持っているのだろうと。
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